こんにちは、ブログを始めましたのでよろしくお願いします。


地元「三河」に根づいて、地域のために粉骨砕身!
〜大工の小僧から始まった仕事人生〜


  皆さま、こんにちは。三河建設のホームページ、そしてこのブログにご訪問くださりありがとうございます。私は社長をしております阿垣剛史と申します。
 今回は、愛知県豊田市(旧・西加茂郡藤岡村)で昭和32年に創業以来、三河地域で長く仕事をさせていただいている弊社のこと、大工としてスタートした自分のこと、そして私自身の「木の家」への熱い思いなどを、つたない文章ですがお伝えできればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
 
 私は愛知県東加茂郡旭町(当時は旭村)で生まれ育ちました。平成17年に藤岡町や旭町を含む42村が豊田市に編入合併されましたので、今は豊田市ということになりますが、自然豊かな矢作川の上流の地域で育ちました。兄弟が9人で、親父が早くに亡くなったので百姓をしていた我が家は貧しく、私の上の兄2人(昭和5年、6年生まれ)が、当時の藤岡村で建設会社の大工仕事をやっておりました。
 私は昭和35年に地元の中学を卒業してすぐに、兄たちのところへ連れてこられまして、それが元で大工になりました。
 16歳で大工の小僧(見習い)となったわけですが、最初の頃は自動車も持っていなかったので、瀬戸や豊田の現場へ行くと、ずっと泊まり込みでやっていました。職人の朝御飯、晩御飯などお勝手仕事も私が全部やっていたんですよ。その後23歳の時に自分の家をつくり、近くの女房をもらい所帯を持ちました。
 小僧時代を含めて若い時分から私はずっと大工をしていて、女房の親戚の家とか座敷とかをやりだしたころに「独立してやってみよう!」ということになりました。私が30歳くらいの時です。ところが当時、兄たちは三河建設の会社経営をしていまして「お前が独立したら困っちゃうから、会社に入ってくれ」ということになり、三河建設に役員として入りました。懐かしい思い出です。
 三河建設に入ってからも、私はずっと大工をしておりましたが、40歳くらいの時には、会社の仕事の大半は私がお客さんからもらってくるという状態になっていました。一番上の兄貴などは早くから仕事を離れてしまったので、いつの間にか会社を仕切るのはもっぱら私、ということになりました。
 私にとって、次に大きな転機となったのは平成7年。藤岡町議会議員になりました。当時は阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と日本中が震え上がるような大きな出来事が続き、大変な世情だったことが思い出されます。その一方で、ボランティア元年という言葉も生まれるほど、助け合いや絆、自分の住む地域への思いを多くの人が持ち始めた時代でもありました。
 その後、私は藤岡町議会議員を10年、合併前の藤岡町最後の議会議員議長も務めさせていただきました。その後、平成17年から2年間、豊田市市議会議員を務めて議員生活にピリオドを打ちました。平成19年に三河建設の社長となり、後継者を育てるという課題と向き合いながら、日々努力しています。
 12年に渡る議員時代も含め、社名にあるように、三河地域への思い、地域の皆さまへの感謝の気持ちは変わりません。少しでもお役に立つ限りは、区長や商工会長などの公職もお受けし、微力ながら頑張ってまいります。
 もちろん、三河建設社長としても粉骨砕身。土地も含めて、住み心地のよい家、安心して暮らせる家をお施主さまに提供していきたいと思っております。弊社のお客様は、二代に渡るお客様も多いんですよ。「前に建てたけど、また作って!」という風に言っていただき、代々のつながりで家づくりをしてくださる方や、人から人への紹介という方が続いていまして、地域に根づいている幸せを実感し、感謝の念を深めております。
 次回は、大工として出発した私が愛する「木の家」への思い、そして40年前に建てた家を「雨楽な家」にリノベーションしていることお話ししたいと思います。最近は自然素材にこだわる若い世代の方も増えてきました。昔の家に使われていた素材の良さを活かす雨楽のリノベーションを知っていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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